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ナンシーセキ[ナンシー関](1962.7.7-2002.6.12)

◆青森県青森市出身
◆1962年7月7日生
◆法政大学→コラムニスト・消しゴム版画家




ナンシー関の略歴

青森県青森市出身

1962年生まれ、青森県青森市で生まれ育ち、小学生の頃からパラパラ漫画や消しゴム版画などを作っていた。

中学生時代は、消しゴム版画が大人気となり注文が殺到した。

「オールナイトニッポン」でハガキが読まれると翌日は拍手で教室に迎えられた。

 

法政大学入学後、消しゴム版画家「ナンシー関」となる

1982年、法政大学に入学する。

「ビートたけしのオールナイトニッポン」に傾倒し、録音して何度も聞き返し、ハガキを出して採用されることもあった。

親の仕送りとバイト代で妹と同居しながら、暇つぶしにやっていた「消しゴム版画」が、コラムニスト「えのきどいちろう」の目に留まり、ライター事務所「シュワッチ」に入社する。

情報誌「ホットドックプレス」の編集者いとうせいこうがペンネームを「ナンシー関」とする。

1985年3月、情報誌「ホットドックプレス」のイラストを消しゴム版画で担当する。

1986年6月、芸能人に関するコラム「対岸に火をつけろ」の連載を担当する。

その後、数々の雑誌でイラストやコラムを担当する。

1989年、「シュワッチ」から独立する。

 

コラムニストとしてブレイク

1990年から、月刊誌「噂の真相」のテレビコラムの連載「ナンシー関のチャンネルオフ」「迷宮の花園」「顔面至上主義」を担当する。

1991年7月、単行本「ナンシー関の顔面手帳」を出版する。

1991年12月、月刊誌「スタジオボイス」で「ナンシー関の信仰の現場」を連載する。

1992年、「何様のつもり」を刊行する。

 

全国区の知名度となる

1993年1月、週刊朝日「小耳に挟もう」の連載を始める。

1993年10月、週刊文春「ナンシー関のテレビ消灯時間」の連載を始める。

1994年、「CREA」でお笑いタレント松本人志と対談し「今お笑いの批評ができるのはナンシーさんとみうらじゅんだけ」と松本人志が発言したことにより、急激に支持者が増える。

 

心不全で急死(40歳)

1995年、マンションを購入し、一人暮らしで、締め切りに追われるストレスを、タバコ・酒・食事で発散する日々となってしまう。

健康チェックをし生活習慣を改めるように忠告する人もいたが、本人は改めなかったという。

2002年6月12日、虚血性心不全で死去する。40歳であった。

 

葬儀には大物芸能人が参列

2002年6月16日、実家付近の寺院で行われた葬儀には、ビートたけし、黒柳徹子、坂本龍一、宮部みゆきなどの著名人が訪れ、弔花が数えきれないほどの数になり盛大な争議となった。

 

死後から19年、作品がSNSバズる

2021年2月、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会・会長である森喜朗元総理が、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「女性は話が長い」(趣意)という発言により、日本中から批判された。

東京オリンピック・パラリンピックの聖火ランナーやボランティアの辞退者が多数出るという事態となった。

ナンシー関が森喜朗元総理を描いた消しゴム版画が、死後から19年、SNSでバズった。


▲ナンシー関の作品

【出典】https://twitter.com/ibiru/status/1357230237860257796


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