「世間」とは何か
有名人が不倫をして批判を受けることがたびたびある。
一つ例を挙げると、オリンピック代表選手の不倫がばれて、本人は謝罪を表明したが、所属先の会社やスポンサー企業は契約を解除する事態となった。
その際の説明として「世間の反発」という言葉がよく使われる。
「世間」とはいったい何なのか。
ここで、太宰治「人間失格」の一説を引用する。
主人公の女性関係の乱れや問題ある行動について、堀木という人物が注意し、それに対して主人公が心の中でつぶやくという場面である。
「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
世間とは、いったい、何の事でしょう。
人間の複数でしょうか。
どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。
けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか」
という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
「それは世間が、ゆるさない」
世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?
「そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ」
世間じゃない。あなたでしょう?
「いまに世間から葬られる」
世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?
自分が「世間の代表」のつもりになっていないか
主人公が疑問に思った「世間」とはいったい何なのか。
現代で頻繁に使われる「世間の反発」とはいったい何なのか。
現代はインターネットで誰でも容易に世界中に自分の言葉を発信することができる。
いつのまにか、自分が「世間の代表」のような意識になっていないか。
自分の言葉を発信するときは、
自分が発信した言葉が
人にどのような影響を与え
何の役に立つか
このことをよく考えながら発信するべきである。
ダザイオサム[太宰治]
◆青森県五所川原市出身 ◆1909年6月19日生 ◆東京大→作家 ...
自分の言動をよく考えてみます。
「世間の代表」になったつもりで誹謗中傷をしていたことがあったような気がします。
自分の言動を客観的に見直してみます。