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■紀元前14,000年頃~紀元後3世紀頃・・縄文時代・弥生時代・日本民族の形成


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縄文時代・弥生時代・日本民族の形成

日本民族の起源

縄文時代(紀元前14,000年頃~紀元前4世紀頃)

一般的に日本の古代の歴史の文献では、日本には約30,000年前から人が住んでおり、紀元前14,000年前までを旧石器時代、紀元前14,000年前~紀元前4世紀を縄文時代としている。

日本は約2万年前までは大陸とつながっており、大陸から人が行き来できる状況であった。したがって、日本が大陸とつながっていた頃に大陸から移住してきた人々が日本に定住し、いつのまにか日本が大陸と離れたため、そのまま「縄文人」となったと考えるのが自然であろう。

縄文人は、狩猟を行い、縄文式土器を造った。この特徴により、後の弥生時代と区別されている。

弥生時代(紀元前4世紀~3世紀頃)

紀元前4世紀頃から、中国大陸から渡来してきた人々が、日本に水稲農耕技術と弥生式土器をもたらした。この頃から3世紀頃までが弥生時代といわれている。

現代の日本人の起源には諸説あるが、近年の研究では、中国大陸から渡来してきた「弥生人」が縄文人と混血して形成されたのが現代の日本人であると言われている。
「弥生人」の定義には論文によって若干の違いがあり、「渡来人=弥生人」とする場合と「渡来人が縄文人と混血した人々=弥生人」とする場合がある。


【出典】http://www.thutmosev.com/archives/72423242.html

北方の独自文化

弥生人は九州方面から北上するように生活圏を拡大し、先住民の縄文人と混血しながら同化していったが、本州北部、北海道、樺太、千島列島などには、弥生人の影響が及ばず、近年まで独自の文化を形成していた。

7世紀頃までは、水稲耕作が行われず引き続き縄文時代の文化が進化し、続縄文時代と言われる。その後、縄文式土器から擦文式土器が主流となり擦文文化が形成され、13世紀頃まで続き、徐々にアイヌ文化を形成していった。

アイヌ人は、北方の人々と混血しながら、本州側の和人とあまり混血せず、独自の生活圏や文化を形成していた。本州側の和人は、アイヌ文化が形成された本州北部や北海道を蝦夷地と呼んでいた。

17世紀に江戸幕府がロシアの軍事圧力に対抗するため蝦夷地を幕府直轄地とした。1855年、日本とロシアの日露和親条約により、択捉島と得撫島の間に国境線が引かれた。

その後は、日本領土のアイヌ人は日本人、ロシア領土のアイヌ人はロシアに同化されていった。近年では、日本とロシア両国でアイヌ人を先住民と認定している。

南方の独自文化

現在の鹿児島県南方から沖縄県にかけては、江戸時代までは「琉球國」であり、日本や中国大陸と交易をしながら独自の生活圏や文化を形成していた。1879年に大日本帝国に併合され沖縄県となった。

遺伝学的研究からの日本人の起源

近年の遺伝学的研究によると、以下の点がわかっている。

・現代の日本人は、縄文人と中国大陸から渡来した人々(弥生人)の混血である。
・琉球民族と和人とアイヌ人を比べると、台湾・中国・韓国と比べた場合よりも共通点が多いため、日本は独自のなりたちをしてきたことがわかる。
・琉球民族は和人よりもアイヌに近いため、日本全体が縄文人であったところに弥生人が九州北部から東北南部まで移り住み混血し和人となったことが裏付けられる。

おおまかに日本人の起源を図に表すと上図のようになる。
(これは、近年の有力な論説から、あくまでも大まかな概念を表したものである。さらに細かく分類できる部分もあり、違う説を主張する文献もある)


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